2020年4月施行の改正民法607条の2で、「賃借人による修繕権」が新設されました。これは「賃貸物の修繕が必要な時、一定要件を満たせば賃借人が自ら修繕でき、費用を貸主に請求できる」というルールです。大家・貸主側から見ると、入居者が勝手に高額修繕を発注して費用請求してくるリスクが法的に認められたことになります。
この記事では、賃借人の修繕権(民法607条の2)について、貸主の防衛策を実務目線で整理します。条文の3要件・「急迫の事情」の判断基準・水増し請求への対処・契約書で明記すべき条項・コミュニケーション設計まで、改正民法の趣旨と国交省ガイドラインを根拠に並べます。設備故障対応の賃料減額ルール・日管協ガイドラインは別記事「不動産投資家のための設備故障対応完全ガイド|民法611条改正・日管協賃料減額ガイドライン・エアコン/給湯器の修繕費負担と」で扱っています。
- 2020年改正民法で新設された「賃借人の修繕権」(607条の2)の実務的な影響を知りたい方
- 入居者が勝手に修繕業者を呼んで高額請求してくるリスクに備えたい方
- 賃貸借契約書に「緊急時の修繕」「急迫の事情」条項をどう書くか整理したい方
- 水増し請求された場合の対処法・適正価格の見極めを知りたい方
- 入居者とのコミュニケーション設計でトラブルを未然に防ぎたい方
- 民法607条の2の3要件:①修繕が必要 ②貸主に通知済みかつ相当期間内に修繕しない/または急迫の事情あり ③この2要件を満たして賃借人が自ら修繕可能
- 「急迫の事情」の判断基準:水漏れ・ガス漏れ・電気故障など「放置すると人命・物件価値に重大被害」のレベル。エアコン故障・小規模水道トラブルは基本「急迫」に該当しない
- 貸主の防衛策3点:①連絡先の24時間化(提携業者の番号も契約書に記載)/②契約書に「緊急時の定義」を具体明記/③上限金額(5万円等)以上は事前承認必須条項を盛り込む
- 水増し請求への対処:相見積もり3社・国交省指針の単価相場との突合・適正価格を超える請求は支払い拒否可能(民法608条1項の費用償還請求は「必要費」の範囲のみ)
- 契約書で明記すべき条項:「緊急時の定義」「修繕の事前承認金額ライン」「貸主指定業者の優先連絡」「賃借人の責に帰する故障は借主負担」の4点
📜 1. 民法607条の2の条文と趣旨
📋 1-1. 改正民法607条の2(2020年4月施行)
「賃借物の修繕が必要である場合において、次に掲げるときは、賃借人は、その修繕をすることができる。
一 賃借人が賃貸人に修繕が必要である旨を通知し、又は賃貸人がその旨を知ったにもかかわらず、賃貸人が相当の期間内に必要な修繕をしないとき。
二 急迫の事情があるとき。」
これにより、賃借人が以下のいずれかを満たせば、貸主に断りなく修繕業者を呼び、修繕費を貸主に請求できることが法律で認められました。
- パターン①「通知後の不対応」:賃借人が貸主に「修繕が必要」と通知済み、または貸主が必要性を知っているのに「相当期間内」に修繕しない
- パターン②「急迫の事情」:通知の余裕すらない緊急性がある
⚠️ 1-2. 改正の趣旨と背景
改正前の民法606条1項は「賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う」と規定するのみで、賃貸人が修繕しない場合に賃借人がどう対応するかは判例ベースでした。実務上は「賃借人が修繕して費用を償還請求する」運用がされていましたが、法的根拠が明示されていなかったため、改正で明文化されました。改正の趣旨は「賃借人保護」ですが、貸主側から見るとリスク拡大の側面があります。
🚨 2. 「急迫の事情」の判断基準
📋 2-1. 該当しやすいケース(実務的に「急迫」と認められる)
| 状況 | 急迫の理由 |
|---|---|
| 水漏れ(給水管・排水管の破裂) | 放置すると下階・隣室への被害拡大、物件価値毀損 |
| ガス漏れ | 人命危険・爆発リスク |
| 電気系統の発火・煙 | 火災リスク |
| 玄関ドアの破損・鍵故障(防犯不能) | 侵入・盗難リスク |
| 真冬の暖房設備の完全故障 | 高齢者・乳幼児がいる場合の健康被害リスク |
| 真夏のエアコン完全故障(高齢者・乳幼児世帯) | 熱中症リスク(一般世帯は微妙) |
⚠️ 2-2. 該当しにくいケース(「急迫」と認められにくい)
| 状況 | 理由 |
|---|---|
| エアコン故障(一般世帯・春秋) | 代替手段あり・健康被害リスク低 |
| 蛇口の水漏れ(少量) | 代替対応可(バケツ受け等)・通知後の対応で十分 |
| 給湯器故障(短期間) | 銭湯・コインシャワー等の代替手段あり |
| 建具・襖・障子の破損 | 使用に重大支障なし |
| 壁紙・床の傷 | 使用継続可能 |
| インターホンの故障 | 郵便・宅配は別手段で対応可 |
📐 2-3. 判断の核心は「放置による被害拡大の有無」
「急迫の事情」の判定軸は、「貸主への連絡・承認を待つ時間的余裕があるかどうか」です。連絡したら数時間〜半日で対応できる場合、それを待たない理由がないため「急迫」とは認められにくい。逆に深夜・休日で連絡がつかない/連絡しても24時間対応してくれる業者を貸主が手配できない場合は、賃借人の判断が認められる余地が大きくなります。
🛡 3. 貸主の防衛策──連絡体制の整備
📋 3-1. 24時間連絡体制の構築
賃借人の修繕権を実質的に発動させないためには、貸主側が「連絡すれば即対応」を実現できる体制を整えるのが第一歩。具体的には以下のいずれか:
| 対応体制 | 具体的な手段 | コスト |
|---|---|---|
| 管理会社の24時間サービス | 管理会社のオプション契約(緊急対応サービス) | 月額500〜2,000円/戸 |
| 家賃保証会社の付帯サービス | 保証契約に緊急駆けつけサービスが含まれるプラン選択 | 家賃の0.5〜1ヶ月分(保証料込み) |
| 独立系の駆けつけサービス | 大家自身で水道・ガス・電気業者と直接提携、24時間連絡先を契約書に記載 | 業者次第(無料〜固定費) |
📋 3-2. 賃貸借契約書に明記する条項
賃貸借契約書に以下4点を明記しておくと、賃借人の修繕権発動を制限し、トラブル時の交渉余地を残せます。
- 緊急時の定義:「水漏れ・ガス漏れ・電気系統発火・玄関ドア破損等、放置することで人命・物件に重大被害が生じる場合に限る」
- 貸主指定業者の優先連絡:「修繕が必要な場合、まず貸主または貸主指定業者(連絡先:◯◯)に連絡する」
- 事前承認金額ライン:「賃借人による修繕は事前承認金額(5万円)を上限とし、これを超える修繕は事前承認が必要」
- 賃借人の責に帰する故障:「賃借人の過失・故意による故障は、賃借人負担とする」
💸 4. 水増し請求への対処
📋 4-1. 「必要費」の範囲だけが償還請求できる
民法608条1項で「賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を請求することができる」と規定されています。償還請求の対象は「必要費」(適正価格の修繕費)のみで、過大な請求は対象外です。
📊 4-2. 水増し請求の典型パターン
| 水増しパターン | 適正単価との乖離 | 見抜く方法 |
|---|---|---|
| 水道修繕の出張費二重請求 | 2〜3倍 | 深夜割増・休日割増の根拠確認 |
| エアコン交換(必要なら修理で済むのに) | 5〜10倍 | 故障原因・修理費見積もりとの比較 |
| 給湯器交換(高グレード品への置換) | 2〜3倍 | 交換品のグレード・型番確認 |
| 水漏れの「広範囲」対応 | 2〜5倍 | 施工範囲の写真・床下被害の実証 |
| 「ぼったくり業者」の出張費 | 3〜10倍 | 業者の所在地・口コミ・登録の有無 |
📋 4-3. 水増し請求に気づいた時の対応フロー
- 請求書・領収書・施工写真の提示要求:賃借人に書類一式を求める
- 相見積もり3社を取得:同じ工事を別業者に見積もり依頼
- 国交省ガイドライン・地域相場との照合:単価が妥当か検証
- 適正額を提示して書面で交渉:差額の支払いを拒否する根拠を整理
- 消費生活センター・少額訴訟:交渉が膠着したら活用
📝 5. 契約書条項の具体例
📋 5-1. 推奨される条項案
第◯条(緊急時の修繕対応)
1. 賃貸物件に修繕が必要となった場合、賃借人は速やかに貸主または貸主指定業者(連絡先:◯◯◯◯)に通知するものとする。
2. 前項の通知後、貸主または指定業者は24時間以内に応答するものとする。
3. 緊急の事情(水漏れ・ガス漏れ・電気系統発火・玄関ドア破損等、人命または物件に重大な被害が生じる恐れがある場合)に限り、賃借人は通知前に応急処置を行うことができる。
4. 賃借人が独自に修繕を実施する場合、事前承認金額の上限は◯円(推奨5万円)とし、これを超える修繕には貸主の事前承認を必要とする。
5. 賃借人の責に帰すべき事由による損傷の修繕費用は、賃借人の負担とする。
6. 水増し請求・市場価格を超える請求があった場合、貸主は適正価格の範囲で償還するものとする。
📋 5-2. 既存契約への追加方法
既に契約済みの賃借人に対しては、契約更新のタイミングで覚書として追加するのが最も実務的。賃借人の同意なしに途中変更はできませんが、更新時の交渉材料として「24時間対応サービスの提供」と引き換えに条項を追加する形が現実的です。
🤝 6. 入居者とのコミュニケーション設計
📋 6-1. 平時のコミュニケーション
賃借人の修繕権の発動は、貸主と賃借人の信頼関係が崩れた時に発生しやすいです。平時から「困った時はすぐ連絡できる」関係を維持することが、最大の防衛策です。具体的には:
- 入居時に「修繕や困りごとは、まず私(または管理会社)に連絡してください」と口頭で念押し
- 連絡先・対応時間・休日連絡先を入居時の案内資料に明記
- 過去の修繕実績(◯日以内に対応した実例)を初回案内で伝える
- 賃借人からの軽微な相談にも丁寧に対応し、信頼関係を構築
- 更新時に簡単な状況確認・困りごとヒアリングを実施
📋 6-2. 修繕依頼時の対応スピード
賃借人から修繕依頼があった場合、「相当の期間内」とされる対応時間は、ケースごとに異なります。判例・実務の感覚では:
| 修繕内容 | 相当期間(実務感覚) |
|---|---|
| 水漏れ・ガス漏れ等の緊急 | 即時〜数時間 |
| エアコン・給湯器の故障 | 1〜3日 |
| 建具・水回りの修繕 | 3〜7日 |
| 壁紙・床等の補修 | 1〜2週間 |
| 大規模修繕(外壁等) | 業者選定後、計画的に |


- 請求書・領収書・施工前後の写真の提示を要求
- 同じ修繕を他業者で相見積もり3社取得
- 地域相場・国交省ガイドラインとの単価比較
- 「急迫の事情」「相当期間内」要件を満たしているかの確認
- 適正額を超える部分は支払拒否の意思を書面で通知
民法608条1項の償還請求は「必要費」の範囲が対象なので、過大請求は法的にも応じる義務がありません。
❓ 7. よくある質問
Q1. 入居者から「水道が詰まったから自分で業者呼びました、5万円払って」と請求されました。払う必要がありますか?
A. まず①「貸主に連絡したのに対応がなかったか」「急迫だったか」を確認、②領収書・施工写真の確認、③相場との比較を行います。深夜・休日で連絡がつかない/詰まり放置で被害拡大の恐れがあった場合は「急迫」と認められやすいです。ただし、5万円が適正かどうかは別問題。詰まり除去は通常2〜3万円が相場で、5万円は若干高めです。
Q2. 契約書に「修繕は貸主指定業者に依頼」と書いてあれば、入居者の修繕権を無効化できますか?
A. 完全に無効化はできません。民法607条の2は強行規定的に解釈されており、契約で完全に排除することは難しいです。ただし、契約書で「緊急時の定義」「事前承認金額」「指定業者の優先連絡」を明記しておけば、トラブル時の交渉材料として機能します。
Q3. エアコンが壊れて入居者が新品交換しました。これは「急迫」ですか?
A. 一般的には「急迫」に該当しません。エアコン故障は代替手段があり(扇風機・冷風扇・友人宅退避等)、貸主への連絡を待つ余裕があります。ただし、真夏で高齢者・乳幼児がいる世帯の場合、熱中症リスクから「急迫」と認められる余地があります。
Q4. 入居者が指定業者ではなく独自業者を呼んだ場合、適正価格を超える分は払わなくていいですか?
A. 民法608条1項の償還請求は「必要費」の範囲のみが対象。過大請求部分は法的に支払い義務がありません。適正額の証明として相見積もり3社・国交省ガイドラインを根拠に書面で交渉します。
Q5. 「相当の期間内」とは具体的に何日ですか?
A. 法律で明文化されておらず、修繕内容・季節・代替手段の有無で変動します。水漏れ等の緊急は即時〜数時間、エアコン・給湯器は1〜3日、建具修繕は3〜7日が実務的な目安です。判例では「賃借人の生活に大きな支障が出ない範囲で、合理的な期間」とされます。
Q6. 賃借人の過失で水漏れが発生し、賃借人が修繕しました。費用を支払う必要がありますか?
A. 賃借人の責に帰すべき事由による損傷は賃借人負担(民法621条)。貸主の負担にはなりません。ただし、過失の証明は貸主側に立証責任があるため、写真・状況証拠を保全しておく必要があります。
Q7. 既存の賃借人にこの条項を追加することはできますか?
A. 賃借人の同意なしに途中変更はできません。契約更新のタイミングで「24時間対応サービスの提供」と引き換えに条項を追加する形が現実的。または、覚書として双方合意で締結する方法もあります。
📖 8. まとめ──連絡体制と契約条項の両輪で守る
2020年4月施行の改正民法607条の2は、賃借人保護の観点から「賃借人の修繕権」を法的に認めました。貸主側から見ると、入居者が独自に高額修繕を発注して費用請求してくるリスクが法的に成立する条件が明示されたわけです。
防衛策の核心は、「賃借人の修繕権が発動する状況を作らない」こと。具体的には①24時間連絡体制の整備(管理会社・家賃保証会社・直接提携業者のいずれか)、②賃貸借契約書での「緊急時の定義」「指定業者優先」「事前承認金額」「賃借人負担条項」の4点明記、③平時のコミュニケーションで「すぐ連絡できる関係」を維持、の3つです。
もし水増し請求が来た場合は、相見積もり3社と国交省ガイドライン・地域相場との照合で「必要費」の範囲を超える部分の支払い拒否を書面で通知。民法608条1項の償還請求は「適正額」のみが対象であり、過大請求に応じる法的義務はありません。連絡体制と契約条項の両輪で、賃借人の修繕権リスクを最小化します。
📖 9. この記事の根拠(出典・参考)
- 民法607条の2:2020年4月施行・賃借人の修繕権
- 民法608条1項:賃借人による費用償還請求権
- 民法621条:賃借人の原状回復義務
- 国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」:修繕費の単価相場
- 監修について:本記事は弁護士監修ではありません。具体的なトラブル対応は弁護士・消費生活センターにご相談ください


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